京都市観光ガイド

清水寺の歴史

 京都市観光ガイド > 清水寺の歴史
 

清水寺は水からはじまった

清水寺は奈良時代にはじまる延鎮上人という僧侶が開いたお寺です。

観音様のお告げに従い音羽の滝にたどりついた場所が、
清水寺のある音羽山でした。

彼は音羽の滝のそばに家を建てすみつきました。

その後、坂上田村麻呂(平安時代の優れた武人)が、
清水寺のある音羽山で鹿狩りに出かけたときに、
延鎮上人に殺生を戒められます。

それに感銘を受けた坂上田村麻呂は妻と共にお堂を建てます。
このお堂が清水寺のお寺としての始まりといわれています。

清水寺がどのようにできたかという話には諸説あるそうですが、
現在では坂上田村麻呂が清水寺の基礎となるお堂を建てた、
という説が正しいとされています。

清水寺と延暦寺

清水寺は昔、興福寺の法相宗に属していました。

興福寺と延暦寺は僧兵を持つ寺で当時の政権からも恐れられる存在でした。
清水寺の属する興福寺と延暦寺は常にライバル関係にあり、
仲が悪かったといいます。

このライバル関係に清水寺は大きな影響を受けます。

なんと延暦寺の衆徒が清水寺を襲い清水寺は炎上してしまいます。

平家物語にもその様子が描かれていますが、
僧侶が戦闘に参加するというのは今では考えられないですが、
武蔵坊弁慶のような兵がたくさんいたそうです。

延暦寺と清水寺は近いこともあり、
たびたび衆徒による襲撃を受けます。
焼き討ちにあうことも多く、
清水寺の建物も何度も損害をうけたそうです。

清水寺の歴史が長いということも関係しているのでしょうが、
頻繁に焼失を繰り返しています。

こういう歴史をみると焼き討ちや戦の影響を受けたりしながら、
清水寺が京都という場所で歩んできた道のりがわかります。

清水寺に訪れる際には歴史をひもときながら、
本堂と12の堂塔を巡ってみるのも楽しいかもしれませんね。

清水寺の歴史ある建物

清水寺には多くの歴史ある建物があります。

「清水の舞台」で有名な本堂は400年近く前(1633年)に再建された建物で、
清水寺の本堂は国宝に指定されています。

清水寺の入り口にある仁王門も重要文化財に指定されています。

応仁の乱(室町時代に将軍の座を狙い25万人の兵が京都でぶつかった)で、
仁王門も焼失しましたが再建されました。

清水寺には国宝の本堂以外にも10以上の重要文化財があり、
また名勝に指定された庭もあります。

それぞれが清水寺の歴史を感じさせる建物でおもむきがありますので、
ゆっくりと楽しんでください。



京都市観光ガイド 記事一覧

京都市観光ガイド / 三年坂 / 二年坂 / 八橋 / 哲学の道 / 清水寺 / 清水寺と世界遺産 / 清水寺の歴史 / 錦市場



(C)京都辞典

お願い:京都市観光ガイドに誤植や間違いを見つけた方はkyoto@gurimori.comまでご連絡をお願いいたします。
ご注意:京都市観光ガイドの掲載情報が正確であることは保証いたしませんので、最終的な確認は京都観光の前にご自身でお願いいたします。また京都市観光ガイドにより発生したいかなる損害も保障いたしませんのでご了承ください。